牛尾治朗対談

慶應義塾大学経済学部卒業後、大和証券に入社した鈴木茂晴さん。
営業部・秘書室・引受第一部長等を経て、2004年社長に就任後、「就職人気ランキングを10位以内に上げるぞ!」と宣言。
残業が当たり前だった証券業界において、19時前退社の励行、女性役員の登用など、女性も活躍できるよう環境を整え、毎年10位以内にランクインする人気企業となった。
2017年、日本証券業協会会長に就任。
バスフィッシングやゴルフも熱中したらとことんやる。
今なお学生時代の仲間とカントリー&ウェスタンのライブでベースを奏でるなど、素敵な趣味人でもある。

鈴木 茂晴(日本証券業協会会長)
激動の昭和を駆け抜けた証券マンが社長になって覆した業界の常識

牛尾
ようこそお越しくださいました。

鈴木
お招きいただきまして、ありがとうございます。

牛尾
経歴を拝見すると、鈴木さんは京都のご出身で、高校を卒業されてから、大学に進学する時に上京されたのですね。

鈴木
はい。1971年、慶應義塾大学経済学部卒業後に大和証券に入社しました。最初は本店営業部に配属されまして、その後、大宮支店、鎌倉支店、池袋支店と、12年間個人営業を担当しました。

牛尾
千野冝時(よしとき)さん(1923~2004)の秘書をされていたことがあるそうですね。

鈴木/strong>
千野さんが会長を務められていた時に、約3年間秘書をしていました。それまで12年間ずっと営業職だったのに、いきなり会長の秘書ですよ。千野さんが「次の秘書は営業から採るように」とおっしゃったらしく、何人か候補が挙がった中から、どういうわけか私が選ばれたようです。秘書を務めることが決まって挨拶に行くと、千野さんは英語が堪能な方でしたから、「鈴木くんも英語は話せるんだろうね」と言われて、「素養はあると思いますが…」と答えると、「素養はある。ということは何かい? 海外に行ったら、僕が君の通訳をしなければならないのかい?」と言われて、ドキッとしましたよ(笑)。

ある時、「ちょっと来なさい」と呼ばれて行くと、当時、日本の銀行のほとんどがAAAに格付けされていたのですが、千野さんは「ハッキリ言って、株の値上がり分が彼らの資産を押し上げているのであって、株価が下がったらAAAはすぐにすっ飛ぶだろう」とおっしゃるのです。私はその時、言っていることが全然わからなかったのですが、後に実際にそうなってきて、「千野さんは、あの時にすでにこうなることを予想していたのだな」と、感心しました。

常に先のことを見ておられて、はるか上のみんなが理解できないことを考えられていましたから、千野さんのような方が今の時代にいらっしゃったら、大変な存在になっていただろうと思います。非常に先見性が高くて、学者みたいな方でしたよね。

牛尾
日本の証券業界の中で、千野さんは全く違ったタイプの珍しくユニークな方でした。

鈴木
千野さんはフルブライト・プログラム(アメリカの学者・教育者・大学院生などを対象とした国際交換プログラム及び奨学金制度)の試験に受かったのですが、体を悪くされて、結局アメリカには行けなかったらしいのです。ところが、誰かにまぐれで受かったみたいに言われて、悔しくてもう一度試験を受けて、その時も合格されたのだそうです。その話を聞いて、本当に優秀な方だったのだなと改めて思いました。

私が秘書をしていたのは1980年代半ばで、あの頃はまだBBCは日本で放送されていませんでしたから、千野さんはロンドンから録画ビデオテープを送ってもらって、よく見ていらっしゃいました。取り寄せまでして世界の様々な情報をいち早く得ておられた。本当にすごい方でした。