茂木友三郎対談


慶應義塾大学大学院法学研究科修了後、三井不動産に入社し、長年にわたって街づくり事業に携わってこられた岩沙弘道さん。
バブル経済崩壊後の一九九八年に代表取締役社長に就任し「新生・三井不動産」を掲げ業績の建て直しを図る傍ら、キャピタルゲインからインカムゲインへと視点を移し、日本市場に合わせた不動産投資信託「J-REIT」の設立を手がけられた。

岩沙 弘道(三井不動産(株)代表取締役会長)
スマートシティ『経年優化』の街づくりをめざす

茂木
ようこそお越しくださいました。

岩沙
お招きいただきまして、ありがとうございます。

茂木
まずは食の話から伺いたいのですが、お好きな食べ物は何ですか。

岩沙
私は天ぷらが好きで、こちらの「天孝」さんにはよくお邪魔しています。

そのほかですと、いわゆる「B級グルメ」といわれる類のものが大好きです(笑)。一番はトンカツ、それからカキフライや鶏の唐揚げ、肉じゃがも好きですね。

茂木
お酒は飲まれますか。

岩沙
以前は日本酒をよく飲んでいましたが、最近はワインが多いです。ただ、量はそれほどいけません。どちらかというと食事がメインで、食事をおいしくいただくためにワインを少し飲む。「楽しく酔っぱらう」という感じでしょうか(笑)。

最近は、息子の嫁と孫娘がうちに来てよく料理をつくってくれます。孫は大学一年生の女の子と中学三年生の男の子の二人おりまして、大学生の女の子がしょっちゅう週末に来ては、最近この料理を覚えたからといってつくってくれるのです。

茂木
お孫さんがつくってくれるというのは嬉しいですね。

岩沙
そうですね。

茂木
岩沙さんのお生まれはどちらですか。

岩沙
名古屋市です。市の中心部に「丸栄百貨店」がありまして、そのそばに今はもうないのですが我が家があって、そこで生まれました。その後、千種区の覚王山に引っ越しました。日泰寺(にったいじ)のすぐ近くの住宅街でした。

茂木
お生まれは何年ですか。

岩沙
昭和十七年、一九四二年生まれです。

茂木
そうすると、終戦の時に三歳ぐらいですから、戦争の記憶は全くないですか。

岩沙
それが一つだけあるのです。空襲を受けた時に、母が着ていた服や、防空頭巾を被せてくれて、「見ちゃダメ。耳をふさいで」と言って私をぐっと抱えて、防空壕に逃げ込んだことを覚えています。B-29がブーンと飛んで来る音と、焼夷弾の落ちる音。何ともいえない、あの独特の音は鮮明に覚えています。それが私が覚えている一番古い記憶です。本当に嫌な記憶ですね。

覚王山の家は空襲で焼かれまして、父親の出身地であり、私の母方の祖母の出身地でもある一宮に移り住みました。そこに高校を出るまでおりまして、名古屋市内にある県立明和高校に一宮の自宅から四十分ほどかけて通っていました。